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 前の日記で書いた内容からすると、私は精神論や神を否定する考えのようにも見えますが

実は自分の家には神棚があり、伊勢神宮札を奉っています。 

毎日、水を捧げ、榊の代わりに椿ですが、毎日水を換えて捧げています。 

そして、土地の精霊の神様に感謝の祈りを捧げ、先祖を崇拝し供養しています。 

 

そんな習慣を持つものですから、神否定どころか、神道そのものです。 

だから、祈りという行事は日々とても大切に考えています。 

 

天皇陛下も、神事として祈りを日々捧げておられます。 

陛下を始め、神社を管理する神主さん等は、 

いわゆる、プロの祈祷師ともいえましょうが、 

彼らと一般人の違いは、身を呈しているかどうか。 

プライベート、いわゆる「我」をなくし、神のために一生を捧げているのです。 

 

プライベートで悪い事をしている神主さんなどは、ただのビジネス神職です。 

 

神道では、神というものは、鏡だといいます。 

神に対して思った事が返ってくるということです。 

神に対して、願いを捧げれば、それは自分に対して願っていることになり、 

神に対して、感謝を捧げれば、それは自分に対して感謝を捧げている事になります。 

そして、多くの時間を経て、日々捧げたものが返ってくるという仕組みです。 

 

天皇家が、2千年以上も続いてきたということは 

奇跡であることの何ものでもないと想います。 

他の国家の場合、途中で必ず市民の脅威に破滅させられてきました。 

 

これだけ長い期間、途絶えず存続させられているのは 

他人を生かす思い遣りを、天皇家一族が代々かかさず捧げて来た反映であると言われています。 

我を無くし、他人を生かすのために尽くされてこられた。だから、「生かされてこられた」のだと。 

 

精神的な力、見えない力というのはあると想います。 

ですが、たとえば今流行っているような、自分の成功のことだけしか考えないスピリチュアル的なものには反対します。 

 

日本が、これまでどんな困難からも立ち直ってきたのも 

精神の強さにあると言われていますが 

その強さとは、伝統的な神道に由来するのではないかと思います。 

本当の精神の強さというのは、自分を信じることです。 

 

人間は、自分の事だけを考えている(自己中心的)と精神的には弱くなります。それを補うために、金銭や権威に執着し、自分を守るために心を痛めます。 

生身の自分そのものには自信がないから、外から得るものに執着するのです。 

 

自分はそれ以上望む事無く、他人に与え、他人を生かす事だけを考えている人は、自分を信じる事が出来る、精神的には強い人です。他人を守るために心を痛めます。 

 

神道の極意は、そこにあると想います。 

神様に何かを願う祈りではなく、神様が喜ぶものを捧げる祈りであるべきです。 

それを習慣化すると、精神的にも「他人のために生きる」良い習慣となって、身に付くからです。 

 

皆さんも、自分のことはさておいて他人の事を一生懸命考えてくれる人には好感を持つし、その人を守りたい気持ちになるはずです。 

他人に対し思った事が返ってくるとは、そういうこともあると思います。 

日本にはそういう人が沢山いるからこそ、何度も絶体絶命の危機から立ち直ってこれたのではないでしょうか。 

 

 

私は、各自の内部に居る神様のことも考えます。 

どんな人間にも良心がある限り、それは神様の意志であります。 

自分が家で奉っている神様、土地の神様と同じように、感謝をし尊重するべきではないかと思います。 

それらへの態度も自分に返ってくるわけですから。 

 

自分を大切にする必要もあります。ご先祖様達が代々一生懸命に引き継いで下さった命ですから、ご先祖様の努力を無駄にしないよう、可能な限り大切にする義務もあります。 

 

 

しかし、どんな人も100パーセント強くあり、いつも他人を思い遣るということは難しいです。 

なぜなら、時間とともに人の心は刻一刻と揺れるからです。 

油断すると、すぐ弱さ、傲慢さへと転落していきます。 

逆もあり、大切な人を守ろうとする時など人は急に強くなります。 

 

だから、その揺れを安定させるために、または、揺れてしまっても元の謙虚さを取り戻すために、他人を思い遣る事を日々の行動と表し、”習慣”にする必要があるんです。 

それが、神を祭り、日々祈りを捧げながら自己と向き合う、神道だと思います。 

 

 

私は、自分の周りの人にも自分と同じように神様を崇拝しろとは言いませんが 

他人や神様に対し、”自分に返って来ても良い想い”を捧げる習慣を持つと良いのではないかと想います。

 
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自己紹介:
フランスで奮闘中のピアニスト、yukawanの日々と心の内側を綴った日記。

色々なことに悩み、足踏みもしながら、なれる限りの素敵な女性になる。

出会える限りの人を愛したい。愛されたい。
心と心の繋がりを通じて、愛でいっぱいの世界に生きたい。

未熟さから生まれる葛藤や内面の気付きを経て、決して諦めずに、理想へ。
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