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繰り出そう、へなちょこパンチ、ねこパンチ!~私はコメントのお返事が出来ない子です。ごめんね。
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 大変な状況で何かしたい、けれど何も出来ないそんなとき

”祈りたくなる” 気持ちはわかりますが、 

祈ったところで何の役にも立たない事を知ってほしいです。 

 

とても善なる気持ちだけど、どんなに強く思ったところで役に立たない労働力なのです。 

たとえば、起こってほしくないと願っても災害は起こる。 

どんなに祈っても、叶わない事もある。 

奇跡は、祈りとは別の偶然で起きる。 

 

いままで、そうではありませんでしたか? 

 

 

それどころか、救ってほしいという祈りは、思考能力を想像以上に消費させ、鬱症状を引き起こす場合があります。 

鬱になってしまっては何も出来なくなり、全てが台無しになります。 

私には経験があるので良くわかります。 

 

そこで、祈る事の代わりに、生かされている事への感謝を強く思えば良いと思います。 

 

被害にあった人々の事を、忘れないこと。 

そのうえで、個人的な悩みや欲望に囚われず、命ある事そのものに感謝をしながら、社会を活気づけよう。 

 

生きていれば、どんな問題も過ぎ去るのだから、あれがああだったら良いのにとか、無い物ねだりで悩んでいる場合ではない。 

 

命があり、普通に生活ができる事自体が、どんなに素晴らしい奇跡なのかと、今回の災害から私たちは学びました。 

 

絶望ではなく、「生かされている事への感謝」を忘れないで生きる事こそが故人への最大の敬意だと思います。 

与えられた命を、無駄にしないために、感謝しながら精一杯生きましょう。 

 

偽善かもしれないけれど、各自の「今を精一杯生きる」ことは、ただ被災者の事を想い絶望するよりも、良い結果を及ぼすに違いありません。 

 

そして、海外の地に居る人は、当たり前に生活している事のありがたみを思い出すように、日本人以外の人たちにも伝えて行くことも義務だと思います。 

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自己紹介:
フランスで奮闘中のピアニスト、yukawanの日々と心の内側を綴った日記。

色々なことに悩み、足踏みもしながら、なれる限りの素敵な女性になる。

出会える限りの人を愛したい。愛されたい。
心と心の繋がりを通じて、愛でいっぱいの世界に生きたい。

未熟さから生まれる葛藤や内面の気付きを経て、決して諦めずに、理想へ。
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